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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.290 「A CHORUS LINE」あれこれ
 今や「コーラスライン」を知らない人はいないと思います。あのトップハットを頭上に上げ、スパンコールも眩しい姿が魅力的です。
 「コーラスライン」はダンサー自身の人生や想いを話すことから始まります。1974年の夏、パブリック劇場にマイケル・ベネットはダンサーを集めました。そこでのインタビューを元にワークショップ形式で試行錯誤しながら形にしていったのです。1975.4.15にオフ・ブロードウェイ299席のニューマン劇場プレビュー公演の開始直前まで練りに練って、完成したミュージカルです。この時に参加したダンサーの赤裸々な告白そのものが舞台になっています。しかもオリジナルメンバー本人が演じたことにより特別な作品になりました。危機的な赤字に救世主も現れ、愛と憎しみが入り交じって辿り着いたプレビュー公演初日は「興奮の拍手喝采で劇場が崩れてしまうのではないか」とニューヨーク・タイムスは書いています。このオフ・ブロードウェイ公演はブロードウェイで開幕した数々のショーを差し置いて様々な賞にノミネートされました。
 3ヶ月後の1975.7.25からブロードウェイの大きい劇場(シュバート劇場1,472席)に移り、大変なブレークとなりました。翌年1976年には最高の演劇賞であるトニー賞最優秀ミュージカル賞をはじめ9部門を受賞、ピューリッツアー演劇賞など、この年の賞という賞を獲得しました。ロングラン6,137回は1999年「キャッツ」に抜かれるまで当時のダントツ公演記録でした。その後、同記録は「オペラ座の怪人」が更新しています。
 私は「コーラスライン」を1979.6.27にこのブロードウェイ、シュバート劇場で観ました。何の知識も無く、ただ、街角の新聞スタンドでそのポスターを見た後、すぐ近くの日本航空デスクに飛び込み、翌週のチケットをゲットしてもらいました。劇場の場所も知らないのに図々しくお願いしました。でも、さすが日本航空さん、チケットは(ラッキー!)中央通路側の最上席でした。「凄い!これが本場のエンターテイメントか」それまで4夜連続でニューポート・ジャズ・フェスティバル会場のカーネギーホールなどで感激していた私でしたが、このミュージカルを観た晩ホテルへの帰り道は、何人かの酔っぱらいが「クオーター!」と寄って来ても目に入らないくらいの感動を受けたのです。
 日本では劇団四季が唯一公演していますが、出来の良い舞台を続けています。初演は1979.9.24日生劇場でした。新聞やテレビで羽永共子さんがオーディションでキャシー役に抜擢されたニュースが大々的に報道され、四季の「コーラスライン」はスタートしました。公演にあたって浅利代表に一行一句の気持ちを伝えたマイケル・ベネットも当日観劇したそうです。その後も再び日生劇場やサンシャイン劇場などで公演されました。ザック浜畑賢吉、シーラ前田美波里、ディアナ久野綾希子、ポール市村正親、マイク飯野おさみ、ヴァル服部良子、ボビー沢木順、ラリー古沢勇、リチー深見正博など以後の劇団四季を代表するキャスト達が選ばれ、ちからの入った舞台で満席の客を魅了しました。そして代々のスターがこの恵まれた場から送り出されたのです。私は劇団四季はこのミュージカルがあったからこそ、現在の規模に至ることが出来たのではないかと今でも思っています。
 また「コーラスライン」は映画にもなり1985.11.15に公開されました。キャスト、スタッフもなかなか決まらず、監督にマイケル・ベネット、ザックにミハエル・バリシニコフ、ダンサーにジョン・トラボルタ等の候補が上がりましたが実現しませんでした。そして、あのサー・リチャード・アッテンボローが監督するということになりましたので大いに期待しました。でも映像化は難しいだろうとも思っていました。有名なタップダンサー、グレッグ・バージの起用や、全米ツアーにも参加したアリソン・リードなど素敵なダンサーが名を連ねていますが、どうしても原作と変わってしまいます。ボブ・フォッシーの娘ニコール・フォッシーが名前だけで出演したこともその一つです。映画の中で面白い場面があります。ミハエル・バリシニコフはロシアの有名なプリンシバルであることは知るところですが、オーディションに落ちたダンサーに、並んで待つ男性が様子を聞くと「バリシニコフ」と答えて字幕には「厳しい」と表現して使われています。
 私は叶うことなら創作者のマイケル・ベネットに撮って欲しかったです。どんなものに仕上げてくれたかと想像すると興味が膨らみます。この映画についてブロードウェイのオリジナルメンバーは「冒頭のシーン以降は失敗作だ」と話しています。確かに凄いダンサーばかりで圧倒されましたが、エンディングはごちゃごちゃした印象で残念でした。すっきりと心に残る絵にしてもらいたかったですが、求め過ぎでしょうか。撮影は1984.10から15週間マーク・ヘンリー劇場を借り切って行われました。驚きです。
 当時は映像も音も素晴らしいと評価されましたが、販売されたDVDや各国のDVDを観ても私には物足りなく思います。それにしても映画だけ観て「コーラスライン」は語れません。是非、舞台を観て下さい。
 それから「コーラスライン」の舞台裏を綴ったドキュメント「ブロードウェイ物語」(R・ヴィアガス他著1993年講談社)も2008.10.25に邦題「ブロードウェイ・ブロードウェイ」という映画になっています。この原作本は天野先生に譲って戴きましたが大変面白いのでお勧めします。廃刊していますがAmazonで購入出来ます。
 「コーラスライン」は人それぞれの居る場所・感覚の差こそあれ、世界共通語を持つエンターテイメントです。競い合うダンサー個々の立場を置き換えれば、様々な人間模様に想いを巡らすことの出来るお話しで、舞台を何度観てもエンディングの華やかさに熱いものを感じます。
 私は2007.5.8にリバイバルされた「コーラスライン」をブロードウェイ、ジェラルド・ショーンフェルド劇場に観に行きました。舞台全体が平べったい感じというか、熱気が伝わって来ないのでちょっとガッカリした覚えがあります。劇場との相性もあったかと思いました(この時、私の隣席に4人の日本人がいました。その中のお一人のお喋りだけが騒がしく聞こえてきます。ちらっと見ると「明石家さんま」さんご一行でした)。
 翌年、世界巡演のためのナショナル・カンパニーが編成され、ブロードウェイと並行する形で2008.8に渋谷オーチャードホールに来日公演がありました。これも押し出しが弱くイマイチでした。オリジナルの迫力が徐々に薄まってきているからでしょうか。この舞台は魂が入っていないといけません。ブロードウェイでは、この直後の2008.8.17に759公演でクローズしてしまいました。
 そして2011.7.28に赤坂ACTシアターに再び来日しました。今までのことがありましたので期待せずに行きましたが、歌もダンスも演技も迫るものがあり大変素晴らしく、型破りのミュージカルが蘇って嬉しかったです。舞台も出会いだと思いました。
 皆さんはキャシーの「THE MUSIC AND THE MIRROR」がお好きですか? それとも「ONE」でしょうか。私は「AT THE BALLET」から「HELLO TWELVE,HELLO THERTEEN,HELLO LOVE」、ディアナの「NOTHING」を挟んでリチーの「ボールをまわせ」で一気に盛り上がっていくところが好きです(映画では別物に置き換えられてガッカリ)。
 私がこのミュージカルに出会ってから30数年。今でも大好きな「コーラスライン」に拍手、拍手です。
 

小島 文雄




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