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OUR MASTER : 佐々木 隆子
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Vol.2349 あん外奥深いあん
 こんにちは。Y's取材班です。
 浅草に行ったおみやげに、雷おこしと人形焼のどちらにしようか決めあぐねたので、両方とも売っている浅草寺雷門となりの常盤堂雷おこし本舗に行きました。
 ちなみに雷おこしは、その名のとおり雷門に由来していて「家を興す」「名を興す」といった意味を込めた縁起物として、江戸時代に売られたのが始まりとされています。
 一方の人形焼は、江戸時代に多くの人形師が住み、人形店が並んでいた日本橋の人形町がその名の由来で、大正時代に人形町で修行した職人が浅草で始めたのが、浅草の人形焼の始まりとされています(どちらも諸説あり)。
 若かりし頃に担ぎに行っていた三社祭のイラスト包装に惹かれて、おみやげはつぶあんの人形焼にしました。訊いたところ、こしあんとつぶあんの人気は「半々」だそうですが、ちょっと気になったので、代表的なあんの種類と歴史をザックリ調べてみました(いずれも諸説あり)。
漉し餡(こしあん)
 最も一般的な小豆餡で、小豆を濾し器で濾して皮を取り除く。
 平安時代(790年代)に中国から渡来した加工技術によって作られるようになり、貴族階級で珍重された。
粒餡(つぶあん)
 丸ごとの小豆を砂糖と一緒に煮て、それ以外は何もしない。
 室町時代(1330年代)に関西から入ってきたこしあんを気の短い江戸っ子が粒のままにした。
潰し餡(つぶしあん)
 つぶあんより少し手間がかかっていて、小豆を煮た後に潰す。
小倉餡(おぐらあん)
 こしあんとつぶあんを混ぜて作る。
 京都西部の小倉山が名前の由来。平安時代の大同4年(809年)に弘法大師空海が中国から持ち帰った小豆の種子を京都市右京区嵯峨小倉山近辺で栽培し、その小豆で菓子職人があんを作り、京都御所に献上したのが発祥とされている。

 つぶあんの由来は、関西から入ってきた丸餅を「手間暇がかかるから」と江戸っ子が角餅(切り餅)にしたのと似ていますね。
 意外だったのは小倉あんの作り方でした。こしあんもつぶあんも食べたい人にとっては“一粒で二度美味しい”ってことですね。そして空海さんは「食うかい?」などとダジャレを言ったんでしょうか。
 それはともかく、NHK朝ドラのタイトルにもなって人気のあんぱんも好きですが、ひねくれ者の私はマイナーなうぐいすぱん※や白あんぱん※が好きで、売っているとついつい買ってしまいます。

※うぐいすぱん:グリーンピースを完熟させ、乾燥させた青えんどうが原材料。
中央アジアから中近東地域が原産地で5世紀頃に中国に伝わり、日本には8世紀頃に遣唐使によって伝わったとされている。
栽培が難しく栽培面積が減少しているため、北海道などの国産は高級食材となっている。

※白あんぱん:白いんげん豆が原材料。
中南米のメキシコが原産地で16世紀頃にヨーロッパに伝わり、日本には17世紀頃に同じく中国から伝わったとされている。
固くてアクがあるため煮る前にしっかり吸水させたり煮崩れを起こし易いので火加減に注意するなど、より手間暇がかかる。

 うぐいすぱんと白あんぱんがなかなか売ってない理由は、人気度だけでなくコスト&タイムパフォーマンス的な問題もあるのかもしれません。
 以上、あん外と奥深いあんの世界でした。
 帰って「ハイ、おみやげ」と人形焼を渡したら「両方食べたかったのに」と言われましたが、どうでもいいですね。長々と失礼しました。

Y's取材班



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